1973年のセリーグ

1973年のセリーグペナントレースは、最終盤に波乱となった。
あと一勝で阪神の優勝が決まる、という試合を落とし、更に最終戦で巨人にも敗れ、巨人のV9を許してしまったのだ。
この時期、監督と選手との対立もあり、チームが一丸となっていなかった事が大き様だ。
戦後再開した最初のペナントレースで首位打者となり、往年の阪神“ダイナマイト打線”の中核を担った金田監督だが、指揮官としてはやや考え方が偏る傾向にあったことは否めないと言われている。
翌74年4位に終わると解任。晩年はステーキハウスの経営に乗り出したが、92年12月に72歳で亡くなった。